TurkishSingers - トルコな歌手たち。
Ferhat Göçer (フェルハット・ギョチェル)
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AD : Ferhat Göçer
DOĞUM GÜNÜ : 1966/6/23
DOĞUM YERİ : Şanlıurfa
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外科医とテノール歌手、究極の2足の草鞋を履きこなす、スゴい人。
ソシエテ(上流階級)出身の民謡歌手、とも呼ばれる先生、
なのに決してお高く止まった人ではなく、いつもにこやかな笑顔の持ち主。
もう40歳過ぎなのに、笑うと少年のように可愛らしい。
出演したTV番組でも率先しておフザケ、皆を楽しませてくれる気さくさを持ち合わせている。
勤務医として当直勤務もこなしながら、コンサートでトルコ全土を駆け巡る毎日。
最近はKralTVでもレギュラー番組を持っているし。
ああ、ドクトルの1日は36時間くらいあるに違いないっ o(≧∀≦)О
Kariyer − ソシエテでもあり、努力家でもあり。
1966年6月、シャンルウルファ生まれ。
教師をしていた両親の転勤により、イズミットへ。
お父ちゃんが知事さんだった、というハナシもあります…。
幼いころより声のよさを称えられ、医学と音楽の道の両立を目指した彼。
彼は、医学部在学中にコンセルヴァトアールで音楽教育を受ける。
医学部在学中に見学に行って、音楽に目覚めたという説もあり。
1986年にイスタンブル大学の医学部へ進学、その2年後の1988年にイスタンブル大学付属
コンセルヴァトアールの声楽科で学ぶ権利を得る。
見事双方を卒業し転勤話がやってきた時、2年間の契約で在籍していた国立オペラ・バレエ団を退団し、
生まれ故郷シャンルウルファへ赴任する。
コレはインターンとしての勤務だったもよう。
シャンルウルファでへの赴任後は、医師としての仕事に夢中になり1年ほど音楽から離れていたが、
Haydarpasa Numune病院の総合外科医助手としてイスタンブルへと呼び戻されると、
その勤務をしながら、大学院生としてイスタンブル大学付属コンセルヴァトアールの声楽科で学んだ。
1994年に同じコンセルヴァトアールの仲間たちと「Turkuaz (トゥルクアズ = 「トルコブルー」という意味。)」
というグループを結成、音楽活動への一歩を踏み出した。
だが1997年にはこのグループを離れて、別グループのプロジェクトに参加する決意をする。
こうした経験を積むにつれ、彼は世界的なオペラ音楽や外国の民謡から今風のものまでに
レパートリーを増やして行った。
そしてネイやカヌーンといったトルコの伝統的な楽器で独自性を加えたオーケストラで、
トルコの古典音楽のみならず、オペラのアリア、60年代の英語曲、イタリア歌曲、シャンソン、
レンベティコ(*)、トルコ音楽のうちサナートやハルクの選び抜かれたものを、
そして西欧のノスタルジックな音楽を今風の音楽にし、新たな息吹を吹き込んで送り出したのである。
西欧の古典音楽とトルコの民族音楽を程よくミックスして歌い上げる彼は、
トルコで唯一の個人所有交響楽団であるMetropol交響楽団を創り上げ、
トルコ文化観光省の後援を得て彼らとともに回ったツアー公演「Anadolu Aryaları」では、
動員記録を次々と打ち立てていった。
こうした活動の末、2005年に初めてのアルバム「Ferhat Göçer (フェルハット・ギョチェル)」を
制作することとなったのである。
アナトリア半島独自の旋律を普遍的な交響楽曲と結びつけ、それぞれに潜む情感に文化的化学反応を
起こして原曲とは違ったスタイルを持たせ、これをトルコで成熟させて世界中へ広める活動、
「Anadolu Aryaları (アナドル・アルヤラル = 「アナトリアのアリア」)」というプロジェクトに
目的を見出した彼は、トルコ各地を飛び回って公演を続けているのである。
2007年にはトルコポップの女王と呼ばれるSezen Aksuから楽曲提供を受けて、
2枚目のアルバム「Yolun Açık Olsun (ヨルン・アチュック・オルスン)」を制作し、
その一方ではEnbe Orkestrasıを率いるBehzat Gerçeker (ベフザット・ゲルチェケル)
のアルバム制作にも参加した。
新人発掘にも熱心なドクトル。
YouTubeに自作の楽曲を発表していた女性歌手Aslı Güngör (アスル・ギュンギョル)と
デュエットしたり、当時まだ無名だった女性歌手Sıla (スラ)の制作した楽曲を歌っていたりもする。
外科医としての勤務がヒマなのかどうかはワカリマセンが ( ̄▽ ̄)
ハイペースでアルバム制作に打ち込んでるドクトル。
2008年の夏に3枚目のアルバム「Çok Sevdim İkimizi (チョク・セヴディム・イキミズィ)」を発表。
ここから、『Bizim Şarkımız』,『Biri Bana Gelsin』,『Gül Ki』と立て続けにクリップを制作し、
現在は4つ目のクリップ『Sen Söyle Hayat』が流れ始めたばかり。
ってゆっても、ほぼ全部フツーに流れてるんだけどねん (≧ω≦)
この後もアルバム発表を予定しているそうで。
ウワサでは次回のアルバム全曲、Sezen Aksuのカバー曲になるんだそう。
ドクトルったら、$お金持ち$〜 \(◎o◎)/!
*レンベティコ
アナトリア半島に居住していたギリシア人の音楽。
住民交換(トルコ居住ギリシア人とギリシア居住トルコ人を強制的に入れ替えた事件)後に
廃れてしまったもよう。
Diskografi − ヂャケットは老け顔ですなー (+_+)
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コレがデビューアルバム。
とってもシブいヂャケットですな ( ̄▽ ̄)
でも裏ヂャケは木漏れ日の中で少年のような笑顔。
この中からは、
「Dön Diyemedim」「Sevgisiz Olmaz」がヒット。
私的にはイタリア歌曲の「Caruso」が好み〜 (〃▽〃)/
ダンナは「Dola Dola」を『ドナドナ?』とソラミミ (≧▽≦)
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Ferhat Göçer (2005) |
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2枚目のアルバム。
緩急いろんな曲を取り混ぜたAnadolu Aryaları風味満載。
この中からは、
「Cennet」「Yolun Açık Olsun」「İsyan」
「Gidemem」がクリップ化。
中でも、「İsyan」はロック調で、クリップも (b^ー゜)♪
名作でふ〜 ゜+。(*´∇`)。+゜
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Yolun Açık Olsun (2007) |
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Enbe Orkestrasıのアルバムにゲスト出演。
そんでSezen Aksuの曲「Rakkas」を、そして
「Kalp Kalbe Karşı」を作者であるAslı Güngörちゃん
とデュエットしとるんですな。
トルコな新聞報道によると、ドクトルがYouTube巡り中に
Aslı Güngörちゃんを見いだして。
その推薦でこのアルバムでのデビューに相成ったそうで。
現代版とるきっしゅ・どりーむ or シンデレラガールと
言ったとこですかね ( ̄▽ ̄)
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Enbe Orkestrası (2007) |
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3枚目のアルバム。
コレが結構問題作と言うか何と言うか (´-ω-`)
YouTube散策をして、気に入った曲を片っ端から
歌ってるんでわなかろーかと思えるよな、そうでないよな。
でも、巧いんだよなー、歌… (-。-)y-゜゜゜
「Biri Bana Gelsin」「Bizim Şarkımız」「Gül Ki」そして
「Sen Söyle Hayat」がクリップ化されてますー (b^ー゜)♪
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Çok Sevdim İkimizi (2008) |
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Last Update: 2008/11/09
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